紙面で紹介してきた膨大な記事の中から、北奥羽地方に関係するクイズを出題します。
すべて答えたら、下の「答え合わせ」で解答と解説をチェック!
2002年10月6日の記事
Q1.1949(昭和24)年、甲地村(現在の東北町)の石文集落近くの赤川上流で、石面に「日本中央」と刻まれた石碑が見つかった。「つぼのいしぶみ」として数々の伝説と謎を呼んだ石碑の大きさは?
Q2.七戸町(旧天間林村)の千曳神社、坪集落に「つぼのいしぶみ」の故事を訪ね、その思いを三首の歌に詠んだほか、住み慣れた温泉に帰着後に「堅雪の八幡岳」という紀行文で「つぼのいしぶみ」に関する文章をまとめた著名人は誰でしょうか。
答え合わせ(ここをクリック)
Q1 正解:高さ1・7メートル、幅3・0メートル
平安時代の武将・坂上田村麻呂が征夷大将軍として、蝦夷(えみし=現在の東北地方)を討伐したと言われています。1997(平成9)年から始まった日の本中央たいまつ祭は、「日本中央の碑」にちなみ、坂上田村麻呂とこの地域の祖先である都母(つも)族との和議が成立し、五穀豊穣、無病息災を祈願したという「たいまつ祭」を再現したとされています。だが、田村麻呂は現在の岩手県胆沢地方までしか北上した記録がないそうです。それにも関わらず、青森ねぶた祭や青森市の善知鳥神社や東北町の千曳神社などは田村麻呂が創建、または再建したと伝承されるなど、青森県においては伝統的な英雄としての「田村麻呂伝説」が残っています。
Q2 正解:大町桂月
明治時代の文人・大町桂月は最晩年の1925年5月23~27日まで七戸町に滞在。「つぼのいしぶみ」の故事を訪ねた際に詠んだ「よいやいま 石文なくも つぼの里 ますらたけをの 忍ばるるかな」と紀行文の一節が刻まれた歌碑が2002年10月、桂月来遊77周年を記念して建立されました。
平安時代の武将・坂上田村麻呂が征夷大将軍として、蝦夷(えみし=現在の東北地方)を討伐したと言われています。1997(平成9)年から始まった日の本中央たいまつ祭は、「日本中央の碑」にちなみ、坂上田村麻呂とこの地域の祖先である都母(つも)族との和議が成立し、五穀豊穣、無病息災を祈願したという「たいまつ祭」を再現したとされています。だが、田村麻呂は現在の岩手県胆沢地方までしか北上した記録がないそうです。それにも関わらず、青森ねぶた祭や青森市の善知鳥神社や東北町の千曳神社などは田村麻呂が創建、または再建したと伝承されるなど、青森県においては伝統的な英雄としての「田村麻呂伝説」が残っています。
Q2 正解:大町桂月
明治時代の文人・大町桂月は最晩年の1925年5月23~27日まで七戸町に滞在。「つぼのいしぶみ」の故事を訪ねた際に詠んだ「よいやいま 石文なくも つぼの里 ますらたけをの 忍ばるるかな」と紀行文の一節が刻まれた歌碑が2002年10月、桂月来遊77周年を記念して建立されました。


