Free戦国南部氏の実像「深掘り」 本紙連載書籍化で記念トークイベント
デーリー東北新聞社は20日、昨年11月まで計68回にわたり本紙に連載された「戦国の北奥羽南部氏」の書籍化を記念したイベント、トーキングカフェ「南部氏を深掘りする」を八戸市の本社6階メディアホールで開いた。連載の執筆陣による講演やパネルディスカッションを通じ、来場した市民約60人が一族内の関係性など戦国時代を生き抜いた南部氏について理解を深めた。
講演は市立図書館主査兼学芸員の滝尻侑貴さん、八戸工大二高教諭の熊谷隆次さんがそれぞれ登壇した。
「南部氏の正月行事にみる領主関係」をテーマに講演した滝尻さんは、南部一族を構築していた「戸(へ)」と呼ばれる各地域を治めていた領主と、そのまとめ役を目指していた三戸氏の関係性を考察。時代によって各領主から三戸氏に対する正月あいさつの有無があり、「三戸氏がまとめ役として地位が変わっていくと同時に、戸の領主を完全に家臣にできていなかったことを示す」と説明した。
熊谷さんは「南部信直の『戦国』観―豊臣政権服属後の振り返りから」と題し、信直が朝鮮出兵で肥前名護屋城下に布陣した際、客観的に過去を振り返って記した史料を解説。「戦国時代は上位権力の干渉を受けない独立した領主権力があったが、豊臣秀吉に畏怖し、盾突く大名はいなかった」とし、「上方の大名と付き合って考え方の古さを実感。昔はよかったと言っていれば家が滅亡するとの思いを強くした」と語った。
続いて行われたパネルディスカッションでは、滝尻さん、熊谷さんがパネリスト、本社の松浦大輔文化部長がコーディネーターを務め、活発に意見交換した。
一、三、四、七、八、九の「戸」を支配し、その地域名を名字とした領主がいた一方で、残る二、五、六の戸の領主について、滝尻さんは「例えば二戸は九戸氏の領地が広がって取り込まれてしまった。元々一族がいても分からなくなったのでは」と指摘。
熊谷さんは「存在しなかったと思う。五戸と六戸は小さな武士がいたが束ねる者が現れず、南部氏が全てを抑えてしまったのではないか」と推察した。