三浦哲郎を旅する。(3)“滅びの血”と向き合う白銀中の宿直室(八戸市) 2021年5月5日 15:09 現白鷗小の場所にあった白銀中(1964年ごろ)。校舎の一部や体育館は62年に焼失し、建て直された(白銀中提供) 「白銀は、私にとって確かに回り道ではあったが、決して無駄道ではなかった。なぜなら、あの宿直室で、私は本気で文学を志願したのだから」(『ふれあい散歩道』、1988年)。49年に青森県立八戸高を卒業し早稲田大政治経済学部に進学した三浦哲郎さんは.....有料記事です。新聞購読者は無料で会員登録できます。会員登録するログイン(会員の方)サービス内容の詳細はこちら お気に入り登録 お気に入りリスト