Free【震災10年】野田村/亡き人思い祈り広がる
津波で街の中心部が壊滅的な被害を受け、38人が犠牲になった野田村。復興事業が進み、巨大な防潮堤や新たな道路が整備され、村の景色は大きく変わった。しかし、大切な家族や友人を亡くした悲しみが癒えることはない。東日本大震災から10年を迎えた11日、村内には亡き人の面影を思う祈りが広がった。
同村の海蔵院の墓地には犠牲者の多くが眠る。村内の実家が流され、父の北田勝太郎さん=当時(79)=、弟の秀利さん=当時(49)=を亡くした久慈市長内町の越戸礼子さん(61)は昼すぎ、夫と一緒に静かに花を手向けた。
震災当日、連絡がつかない2人の無事を信じたが、翌日に訃報が届いた。ひ孫の誕生を喜んでいた父。携帯電話の待ち受けの写真を変えてあげたばかりだった。節目に特別な感慨はないが、「10年はあっという間。時間がたっても家族を失った悲しみは変わらない」と静かに語った。
村は例年と同様、大津波記念碑の前に献花台を設置。午後になると住民や村の支援関係者が続々と訪れ、穏やかな海に向かって手を合わせた。
親友の大下フニさん=当時(73)=を亡くした同村野田の葛巻照子さん(83)は「口数が少なく穏やかで本当に素晴らしい人だった。今でも悔しい、悲しい」とやりきれない思いをかみ締めた。
「私だけ年を取ったけれど、まだ元気でやってるよ」と天国の友人に語り掛けた。 記念碑近くにあった自宅が流され、母の昭子さん=当時(75)=を亡くした同村野田の会社員藤森正人さん(58)。母を避難させて職場に戻ったが、その後、母は津波にのまれた。
当時は誰もこれほどの大津波が来るとは予想できなかったが、「もっと高い所に逃がせば良かった」と後悔もある。
震災後は高台に自宅を建て替え、慌ただしい日々を過ごしてきた。この日、近所で暮らす親戚らと共に黙とうをささげた藤森さん。「毎年、命日には家族や親戚と酒を飲むんだ。今でもみんな仲良くやっているよって」