Free【連載・世界のJOMONへ】第3部 知られざる縄文の魅力(1)二つの大発見
なだらかな地形に緑が広がる一戸町の御所野遺跡。鳥のさえずりが聞こえる静かなこの地は、縄文時代中期後半(4500~4千年前)に人々が暮らし、生活を営んだ場所だ。一見、数ある縄文遺跡と変わらないように見えるが、実はこの遺跡はこれまでの縄文遺跡の“定説”に一石を投じる大発見が二つも見つかった貴重な資産だ。
一つ目は「土屋根」の存在だ。全国で復元された竪穴住居は、かやぶき屋根が主流だが、同遺跡の住居は木で組んだ屋根の上に土をかぶせた土屋根だったことが分かっている。
なぜ同遺跡は土の屋根だったのか。その答えは、全国の竪穴住居が復元された経緯に隠されていた。
実は、多くの遺跡の住居跡から出土するのは、土を掘って建てた痕跡のみで、屋根の構造を示すものは残っていない。関係者によると、住居の復元の依頼を受けたある建築家が、日本で最初の竪穴住居をかやぶき屋根で復元したところ、その図面が全国に定着したという。この建築家は「島根県のたたら場を参考にした」と説明。実際に竪穴住居がかやぶき屋根だったという明確な根拠はない。
同遺跡で行われた1996年度の調査では、焼けた住居跡からカヤが検出されず、土の堆積状況からも土屋根だったことが確認された。これは全国の縄文遺跡で初めての大発見だった。
99年秋には、竪穴住居の焼失原因を調べるため、復元した住居を燃やす燃焼実験を実施。すると再び大きな発見があった。
実験の結果、土屋根の住居は密閉性が高く、内部が酸欠状態となり燃えにくいことが判明。それにもかかわらず、激しく焼けた跡が残っていることから、住居は火事などで焼け落ちたのではなく、意図的に焼失させた可能性が高いことが分かった。
縄文人は何の目的でわざわざ家を燃やしたのか。御所野縄文博物館の高田和徳館長によると、縄文人の遺伝子を受け継ぐとされるアイヌ民族には、リーダーが亡くなると家を燃やしてあの世に持たせる「送り」の儀式があった。住居内から出てきた土器などの出土品を見ても、あの世で使う道具をそろえて火をつけた可能性が高いという。
「現代人には考えられないことかもしれないが、縄文人は死んだ人のために苦労して建てた家を燃やし、その中に道具も入れていたようだ」と指摘する。
ただ、御所野遺跡の竪穴住居についてはまだ、未解明の部分が多い。高田館長は「現在の復元住居は実験を含めて3回目。実験を繰り返すことで、遺跡復元のレベルが上がり、真実に近づく」と力を込める。
現在、復元されている竪穴住居に入れば、ここでの縄文人の暮らしに思いをはせることができる。出入り口から外を眺めれば、ほかの住居や丘も見える。高田館長は「風がどちらから吹くか。鳥はどこで鳴いているのか。縄文人からのメッセージを感じてみてほしい」と話す。
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青森県など4道県が世界文化遺産登録を目指している「北海道・北東北の縄文遺跡群」。構成資産や縄文に関する魅力は、まだ“発掘”されていない部分も多い。第3部では、知られざる縄文の魅力や面白さに光を当てる。