厚生労働省の人口動態統計(速報値)によると、青森県内で2024年に生まれた赤ちゃんの数は5410人だったそうです。前年比で592人減と、少子化はますます進行しています。
子どもの数が多かった昭和の時代。児童の娯楽として人気を集めたのが「紙芝居」でした。
今回の写真は、八戸市で長年紙芝居屋さんを続けていた保坂岩吉さん(当時64歳)の姿を撮影したものです=1970(昭和45)年4月23日本紙掲載=。
子どもたちから大人気だった保坂さん。本名より愛称の“はげちゃん”として親しまれていました。東京出身の保坂さんが、八戸で紙芝居を始めたのは太平洋戦争前の1934(昭和9)年。それ以前は、活動写真(無声映画)をリアルタイムで説明する弁士をしていたそうです。
保坂さんは神明宮の境内や当時の市民病院などで紙芝居を上演。 観覧料代わりの棒アメの値段は、当時の価格で1本5円でしたが、時代の流れに伴い、1960年ごろからは屋台でおでんのほか、やきそばも売る“副業”も始めたそうです。2枚目の写真が、おでんを食べる子どもたちの様子です。
子どもたちが、紙芝居を通して一つの物語を“共有”していた昭和という時代。テレビやラジオの台頭で、みんなで広場や境内に集まって見る紙芝居は衰退してしまいました。
しかし、平成、令和とデジタル化がいっそう進行する中、インターネット上ではアニメや映画・ドラマを同じ時間に見て、即時に感想を投稿し合う「同時視聴」というスタイルが一定の人気を集めているそうです。紙芝居からデジタルへとスタイルは変わりましたが「一緒に何かを見て楽しみたい」という人間の気持ちは、意外にも根強いのかもしれません。
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