Free【書評】「義と情と理と~大島理森が駆けた時代~」 ジャーナリスト後藤謙次氏
憲法第41条は「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と規定する。国会のトップである議長が「権威の象徴」とされるのはこのためだ。しかし、政治の世界では行政権を掌握する首相が圧倒的な存在感を示す。これに対して議長が目立つことはほとんどない。自己の判断に基づいて権限を行使する機会が少ないからだ。
ただし政治は時として首相も手を出せない領域で起きる問題に直面する。その時が議長の出番だ。こうした場面で議長の権威を認識させた衆院議長がいる。明治憲法下も含めた歴代最長在任期間の記録を残した大島理森氏である。
中でも天皇の退位問題を決着させた大島氏の功績は政治史に残る金字塔と言っていい。天皇陛下(現上皇陛下)は2016年8月8日、退位のお気持ちを表明された。衆院議長だった大島氏は本書の中でその時の衝撃を書き残している。
「最初は『これは本当だろうか』と驚愕(きょうがく)しました」
憲政史上初めての事態だった。大島氏は「進め方の合意」と「中身の合意」の形成を進めたことを本書で明らかにしている。その終着点が「退位特例法」の成立だった。憲法に絡む問題を決着させた意味は大きく、大島氏は本書で憲法改正問題にも触れている。
「もし各党・各会派が議長の下で議論をまとめていこうと提起するならば、この時のようなやり方もあるのだろうと思う」
天皇陛下の退位問題に加えて国会議員の定数是正についても結論を出したのは大島議長だった。いずれも大島氏の公平さと信頼感が推進力になったと言っていい。
大島氏は「クリーン三木」と呼ばれた三木武夫元首相の流れをくむ政治家の1人。三木氏は「議会の子」と呼ばれ、大島氏も誇りを込めて自身を「議会人」と称した。初当選した1983年の選挙は田中角栄元首相に判決が出た直後の「田中判決選挙」。以来、大島氏は想像を超えた数々の出来事と向き合ってきた。政治家として2度にわたる自民党の野党転落を経験し、大きな被害を出した東日本大震災に遭遇した。
そして大島氏は自民党が政権を取り戻した第2次安倍晋三政権で衆院議長に就任した。安倍氏は「安倍1強」と呼ばれた官邸主導型の路線にまい進した。しかし、大島氏はその流れにくみしなかった。むしろブレーキ役に回った。国有地の払い下げをめぐる森友学園問題の公文書改ざんなどで国会軽視として安倍政権に注文を付ける異例の書簡を発表した。このことで野党側はますます大島氏に対する信頼の度を高めたと言っていい。
本書の第1章「揺籃(ようらん)」によると、大島氏は「父、母と兄2人、姉3人、弟1人」という大家族の中で育っている。これが「義と情と理」を重んじる政治家大島氏の原点なのだろう。本書は終戦の翌年に八戸市で生を受け、昭和から平成へ、さらに令和に向けて大きく変容を遂げた日本の政治、経済、外交を至近距離でしかも内側から目撃した大島氏による後世に残る「時代の証言録」でもある。
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「義と情と理と」はデーリー東北新聞社刊、1980円(税込み)。
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【略歴】後藤謙次(ごとう・けんじ) 1973年、共同通信社に入社。首相官邸クラブキャップ、政治部長、論説副委員長、編集局長などを歴任し、2007年退社。ニュース番組のキャスターやコメンテーターなどを務め、現在も雑誌や地方紙に多数の連載を抱える。共同通信社客員論説委員。東京都出身。