Free【北奥羽の地名】土釜(つちがま、洋野町)/土器使い海水から製塩

北奥羽の地名
北奥羽の地名

洋野町宿戸地区の沿岸地域。宿戸漁港があり、目前には太平洋がパノラマで広がる。

 九戸歴史民俗の会の酒井久男会長によると、同町沿岸部では縄文時代から海水を煮詰める方式の製塩が行われていた。江戸時代に鉄が普及するまでは大きな土器を据えた釜を使ったため、同地区にあった製塩施設が地名の由来になったとみられる。

 江戸時代の文書には既に「土釜」の記載がある。現在、北奥羽地方で塩の産地といえば野田村が有名だが、同町沿岸部は当時、同村周辺地域よりも多く塩を生産。釜は最も多い時で33あり、「土釜」には三つほど設けられていた。

 出来上がった塩は八戸市柏崎に地名が残る「塩町」で取引され、三戸町や秋田県鹿角市まで運ばれた。明治になると、専売法の施行や瀬戸内海沿岸の塩田で生産された塩の流通などが影響し、同町の製塩は廃れてしまった。

 町内に数カ所あった塩釜の跡地は、度重なる津波の被害に遭い、残っていない。地名だけが、かつての記憶をとどめている。

 
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