Free【牧野博士と川﨑正 “らんまん”な2人】㊤ 灘校のロックガーデン
約90年前、鮫村大久喜(現八戸市鮫町)出身の川﨑正(正悦=まさよし=、1893~1978年)が、勤務校の灘中(現灘中・高、神戸市)で造成したロックガーデンを再生する試みが、灘中・高で進められている。日本の植物分類学の礎を築いた植物学者で、川﨑と親交のあった牧野富太郎(1862~1957年)も関わった可能性があるという庭だが、長く忘れ去られていた。その存在を知った学校関係者が昨秋から植栽に取り組んでおり、海保雅一校長は「川﨑先生の業績や、灘校と牧野博士のつながりを思い起こすモニュメントとして存続できれば」と話す。
川﨑は関東地方や秋田県などで教員を務めた後、1928年に創立したばかりの灘中に採用されて生物を教えた。少年時代からおじの影響で植物に興味を持ち、教職の傍ら在野の植物研究者として関東や関西の山野草研究会で活動。神戸市の六甲高山植物園の開園にも関わったという。
関東にいた頃に牧野の薫陶を受けており、日記などを基にした牧野の行動録にも19年から名前が現れる。植物採集に同行し、数多く手紙をやり取りしたほか、相互に自宅を訪ねており、交流は牧野が亡くなるまで続いた。
海保校長は、川﨑について「酒と山を愛する、牧野博士級の破天荒な人で、校外授業や採集行での植物愛あふれる解説は聞く者を魅了したそうだ」と、伝え聞く人物像を明かす。
ロックガーデンが造成されたのは34年。岩石を配置し、127種の山野草を植えた。翌年には牧野が同校で講演しており、庭を見学したり、造成について助言したりした可能性もある。だが、造成から4年後に学校で火災が起きたことなどから放置され、石組みの一部が残ったものの由来は長く忘れられていたという。
大阪市の植物園「咲くやこの花館」名誉館長の久山(くやま)敦さん(76)が講演で庭に触れたのを知った海保校長が資料を探して校舎配置図や植栽リストなどを発見。久山さんらの協力を得て再建に着手し、今春までに、牧野が学名を付けたミヤマヨメナやシナノナデシコ、ナカガワノギクなどを含む約70種類の草花を植えた。
当時のリストそのままではないといい、久山さんは「環境の変化もあるので、川﨑先生が植えた高い山の物から丈夫な物に変えるなどもした」と説明。今後も順次増やす予定で、海保校長は「山野草を見て、好奇心、探究心の赴くまま自主的に植物への興味を持ってくれる生徒がいたらうれしい」と期待を込めた。
最終盤に突入した、NHK連続テレビ小説「らんまん」。主人公のモデル牧野富太郎が川﨑正へ送ったはがきや封書は川﨑家に360通以上残り、現在は兵庫県立「人と自然の博物館」に寄贈されている。手紙などから約40年に及ぶ2人の交流と人柄を読み解く。
【牧野博士と川﨑正 “らんまん”な2人】
- ㊤ 灘校のロックガーデン(9月19日)
- ㊥ あこがれの青森(9月21日)
- ㊦ 神戸で深まる親交(9月29日)
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