Free【北奥羽各駅めぐり】㉑乙供駅 上北鉱山操業で栄える

東北町上笹橋にある青い森鉄道の乙供(おっとも)駅は、旧甲地村だった1894(明治27)年に開業した。明治の市町村制導入で旧村が成立した2年後。東北線全線開業からは3年後だ。付近住民によると「乙供」は駅西側に広がる地域名で、近くには乙供神社もある。

 待合室の掲示資料には、開業までの歴史の一端が記される。駅は当初、七戸町(旧天間林村)二ツ森地区にできる予定だったが、住民の反対に遭った。一方、乙供地区側の熱心な誘致が実り、現在地への建設が決まったと伝える。

 ただ、鉄道敷設を巡る当時の動きは諸説あり、別の資料では「七戸町は熱望したがかなわなかった」との記載も見られる。当時の地域住民には、未知のテクノロジーに対しさまざまな見方があったのだろう。

乙供駅をたつ青い森鉄道の下り電車

木材集積、人の往来活発に

1969年ごろに建てられたとみられる現在の乙供駅の駅舎

青森県県民生活文化課の中園裕主幹によると、開業当初、駅前は民家がさほど多くなかった。1919(大正8)年に駅と旧天間林村を結ぶ乙供森林鉄道(坪川林道)が開通、36(昭和11)年に同村で上北鉱山の操業が始まると、木材が集積し人の往来も活発になった。

 駅前に店を構え約75年の老舗「味(どころ)たなか」を営む田中淳さん(58)は「この町が一番、華やいだのは昭和30年代から40年代前半。上北鉱山の人はトロッコで飲みに来たりしていた」と懐かしむ。鉱物はロープウエーで現青い森鉄道の野内駅(青森市)に送られ、鉱山労働者や家族らは森林鉄道を利用して駅を訪れた。

 駅前商店街には個人経営のスーパーや映画館、ダンスホールなどが軒を連ね、昼は買い物客、夜は酔客があふれた。七戸町や十和田市、三沢市などから足を延ばす人も少なくなかった。

 やがて森林鉄道は廃止され鉱山も閉山。車社会の到来とともに国道4号バイパスが開通したことも、駅の利用者減に拍車を掛けた。それでも、「たなか」は今も昼どきには客足が途切れないほどの人気だ。「食材を最もいい状態で提供し、全てのお客さんに満足してほしい」と、田中さんは変わらぬ真心を込める。

 駅のホームは2面2線。窓口の営業時間は午前6時20分~午後2時10分。青い森鉄道によると、2018年度の1日平均乗降人員は488人。管理する河井利文野辺地駅長(54)は「利用は地元中心。年配の方も多いので親切な対応を心掛けている」と話す。


【上北鉱山】
 青森市との境界に近い七戸町南天間舘で1940年に日本鉱業(現ENEOSホールディングス)が本格操業、資源の海外依存と鉱床の枯渇により73年に閉山した。窒素肥料の原料となる硫化鉄鉱と銅鉱を産出。44年に1カ月の銅産出量が国内最大の1400トン以上を記録し「神風鉱山」と呼ばれた。最盛期は労働者と家族ら5千人が鉱山村で暮らした。

【北奥羽各駅めぐり 停車駅】(全23回)

 
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