Free【GW企画】紙面で振り返るうみねこマラソン① 第1回大会「晴天の下 地元勢快走」

第1回大会の様子を伝える紙面(1982年5月17日付)

<1982年5月17日付紙面より>

雲ひとつない好天に恵まれた16日、八戸市では初めての第1回八戸うみねこマラソン全国大会、上北郡野辺地町でも第7回野辺地マラソンと二つのマラソン大会が行われ、合わせて千人以上のランナーがみちのく路をひた走った。

第1回八戸うみねこマラソン全国大会は16日、快晴に恵まれた八戸市の〝夢の大橋〟に全国から545人の選手を集めて盛大に行われた。

八戸うみねこマラソンと銘打った今大会は八戸市陸上競技協会が主催、デーリー東北新聞社などが後援して開いたもの。青森県では初の試みだが、南は徳島県、北は北海道と14道府県から合わせて545人のマラソン愛好者が健脚を競った。

コースは館鼻漁港の水産公社前をスタートし再び水産公社前がゴール地点。一般(年齢制限なし)、中学男子、女子の5キロは八戸大橋手前が折り返し点で、高校男子、一般男子39歳以下、同40代、同50代、同60歳以上の10キロは八戸大橋を渡り八太郎大橋手前が折り返し点。最長の一般男子15キロは八太郎大橋を経てフェリーふ頭が折り返し点と八戸市の海の表玄関を一望するコースとなっている。

レースは午後0時半、15キロ10キロ、5キロの三つに分かれて水産公社前をスタート。最長の一般15キロではいち早くトップに立った松田勝(陸自八戸)が、終始トップを守りそのままゴールイン、記念すべき第1回の王座に輝いた。高校男子10キロは三浦一人(八戸)が優勝、女子5キロは三沢フライトのリン・ニッケ選手が中学生を抑え1番でゴールインした。

また、今大会は自分の体力に合わせて走る健康マラソンとあって全国から集まった60歳以上の選手たちは自分のペースを守り次々と完走。ゴールでは詰めかけた約3000人の観衆の盛んな拍手を浴びていた。

初めての大会ながら事故もなくほとんどの選手が完走したうみねこマラソン大会。主催者は八戸市の名物にと早くも来年の準備に話が弾んでいた。

 
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