Free【北奥羽の地名】治部袋(じんば、七戸町)/石田三成の遺児の伝説

北奥羽の地名
北奥羽の地名

七戸町の東北新幹線七戸十和田駅から北西の方角に、治部袋という集落がある。難読地名としてよく名が挙がる場所だが、語源もなかなか興味深い。

 町教委によると、豊臣家家臣で、関ケ原の戦いで西軍を指揮したことで知られる、石田治部少輔三成(石田三成)の遺児が七戸の地に落ち着いたとの伝説が残る。

 詳細は不明だが、町史に詳しい町教委の小山彦逸世界遺産対策室長によると、治部袋の畑から刀やよろいの破片が出土した―との逸話もあるという。治部に続く「袋」は「袋小路で、これ以上行けないという意味では」と推測する。

 治部袋では、公園整備のため、1994年に発掘調査が実施されている。この際、武具の類いは出てこなかったが、奈良から平安時代にかけての遺構が見つかり、20基ほどの貯蔵庫や竪穴住居跡などが確認された。

 小山室長は「石田三成を連想させるものは出なかった」としながらも、「刀などが見つかった話は私も実際に地元の人から聞いたことがあり、夢が膨らむ地名だ」と話す。

 
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