Free南側で初の門柱跡 南部・聖寿寺館跡 正門位置特定の手掛かりに

聖寿寺館跡の南側で見つかった二つの柱穴。門柱の跡とみられる=28日、南部町
聖寿寺館跡の南側で見つかった二つの柱穴。門柱の跡とみられる=28日、南部町

戦国時代に北奥羽地方で最大の勢力を誇った三戸南部氏が拠点とした南部町小向の国史跡聖寿寺(しょうじゅじ)館跡について、町教委は28日、本年度の発掘調査で城館南側では初となる門柱跡が見つかったと発表した。まだ確認されていない、正門の位置を特定する手掛かりになる可能性があるという。正門の位置は城館の空間利用を考える上で重要なことから、町教委は「南側の調査をさらに進め、城館の全体像を解明したい」としている。

 聖寿寺館跡は三戸南部氏が15世紀前半から16世紀半ごろにかけて拠点とした。1993年に町の発掘調査が始まり、東北地方で最大規模の堀立柱建物跡や貴重な遺物が発見されている。

 本年度の調査で見つかったのは直径約1・1メートルの円形の柱穴二つで、穴の間隔は約2・3メートル。

 同跡ではこれまでに建物跡が多い北側で東北最大級の門柱跡が見つかっている。新たに発見された南側の門柱跡は北側より小規模なものの、町教委は「中世は防衛を考えて正門を狭く作ることもあったため、こちらが正門の可能性もある」と説明する。

 また、城館南西部では中心部に至る新たな虎口(こぐち)を発見。当時としては全国でも珍しい、黒土や粘土などを突き固める版築による舗装が通路に施してあり、来年度以降、周辺に門柱跡がないか調査を進める。

 町教委社会教育課史跡対策室の布施和洋総括主査は「正門の位置によって城館内部の空間利用や建物の間取りは大きく変わる。南側からさらに手掛かりを見つけ、総合的に判断したい」と意欲を示した。

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