【刻む記憶~東日本大震災10年】「野球していいのか…」 光星野球部、葛藤で臨んだセンバツ 2021年3月2日 7:30 震災当時、監督に就任して初の甲子園に臨んだ八戸学院光星高の仲井宗基監督(左)と小坂貫志部長=2月25日、八戸学院屋内練習場 2011年3月11日午後。東日本大震災の最初の揺れが始まったその時、選抜高校野球大会出場が決まっていた八戸市の光星学院高(現八学光星高)ナインら約40人は、関東上空の飛行機内にいた。キャンプ地から学校に戻る途中だったが、結局は帰校できないま.....有料記事です。新聞購読者は無料で会員登録できます。会員登録するログイン(会員の方)サービス内容の詳細はこちら お気に入り登録 お気に入りリスト