むつ小川原開発の頓挫、核燃料サイクル施設の立地を経て、貧しかった六ケ所村はどう変わったのか。「開発と核燃の村」の現状を現地から報告する。



01核燃城下町

 八戸市から車を走らせて1時間余り。太平洋沿いの国道338号を北上すると、六ケ所村に到着する。朝の通勤時間帯は、もう少しだけ時間がかかる。混雑するからだ。
 6月のある日、三沢市から同村の境界にさしかかると、のろのろ運転が始まった。長い列をつくる車のほとんどは、村内で核燃料サイクル施設を運営する日本原燃や、原燃に関連する会社に向かっているとみられる。
 原燃によると、使用済み核燃料再処理工場の安全対策工事が盛んに行われていた2022年6月、最大約5700人の作業員が構内で働いていた。

 今年4月の実績では約1800人で、ピーク時の3分の1以下となった。それに伴って渋滞は落ち着いている。それでも、通勤や退勤時間帯に国道338号など村のあちらこちらで長い車列を日常的に目にする。原燃があることによって仕事があふれる「核燃城下町」を象徴する光景の一つだ。

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02にぎわうコンビニ

 太陽の強い日差しが照りつける6月のある日のお昼時。車で混雑するコンビニの駐車場で、若い男性がお湯を入れたカップラーメンを手にしていた。
 仲間と一緒に乗っていた車のナンバーの地域名は「越谷」。男性は埼玉県出身の18歳。六ケ所村の日本原燃構内で電気関係の仕事をしていて、今年4月から通っている。宿舎は十和田市。昼食時と帰宅前、ご飯を買うのにこのコンビニをよく使う。「原燃から近いので」と笑って答えた。
 つくば、仙台、福井、水戸…。コンビニを取り囲むようになっている駐車場には、全国津々浦々のナンバープレートが並ぶ。
 ここは、ファミリーマート六ケ所店。原燃から最も近い、多くの企業が張り付くむつ小川原開発地区の中心部・弥栄平いやさかたいら地区で唯一のコンビニだ。

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03恩 恵

 六ケ所村にある事業所は大小にかかわらず、日本原燃の存在による波及効果を受けている。会社創業の経緯をたどると、むつ小川原開発、核燃料サイクル施設の立地に行き着く会社も多い。
 村役場の近くの国道338号沿いに、小さなガソリンスタンドがある。1980年代から営業している。組合を通し、原燃から注文が入る。村内に事務所を構える建設会社や、工事に伴って村内に来ている作業員らもスタンドを利用。核燃料サイクル施設立地の恩恵を受ける。

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04アパート事情

 六ケ所村役場がある尾駮地区には新しいアパートが多く立ち並ぶ。「ひしめき合ってきたのは、ここ5、6年」。同村で不動産業も手がける鷹架工務店取締役の鷹架良子さん(72)が地域の状況を説明してくれた。鷹架工務店が尾駮地区で管理しているのは50部屋以上。それでも、部屋は足りていないという。
 取材で鷹架さんから話を聞いたのは5月末。「最近も『部屋を探している』というお客さんから電話があったけど、どこも空いているところがなくて紹介できなかった」

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05人材獲得競争

 7月5日に野辺地町の「亀の井ホテル 青森まかど」で開かれた来年3月新規高校卒業予定者に対する企業説明会。参加した41社のうち、半数以上の22社が六ケ所村内に本社や事業所を置く企業で、六ケ所に企業が集中立地する状況を象徴していた。
 六ケ所には大手企業の関連事業所も多く、相対的に給与が高めになる。
 「高い賃金を示されると、太刀打ちできない」。野辺地公共職業安定所管内で、六ケ所以外から参加した会社の担当者は苦笑いを浮かべた。

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06進まぬ定住

 核燃料サイクル施設の立地によって仕事にあふれる六ケ所村だが、人口は減少しており、行政は定住、移住対策に腐心している。
 村出身で、仕事で村とつながっている八戸市の男性(40)に「地元に住む考えはないか」と尋ねてみた。返ってきた答えは「住むとなると不便」。確かに南北に長く広い村内で総合スーパーは中心部にある1店舗だけ。「週末に村外でまとめ買いしている」という住民は多い。鉄道がなく、公共交通が整っているとは言えない。

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07満州と庄内の礎(上)

 六ケ所村には満州からの引き揚げ者らによって切り開かれた土地がある。村南部に位置する、一大酪農地帯の庄内地区だ。地区名は入植元が山形県の庄内地方だったことに由来する。終戦から79年。庄内地区でも、満州での生活を知る人は年々少なくなり、伝承が難しくなっている。かなたの地での遠い記憶を追った。
 庄内地区に住む伊藤和夫さん(83)は4歳の頃、満州で終戦を迎えた。
 逃げる途中に乗った無蓋車で中国人から石を投げられたこと、引き揚げた京都・舞鶴港で一列に並べられ、防疫の薬剤を吹きかけられたこと―。覚えているのは、わずかだという。

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08満州と庄内の礎(下)

 川を渡っている。「母は妹をおんぶして、水が私の首のところまであった。私より背の低い弟は、母と私が手を取って、あっぷあっぷしていた」
 六ケ所村の庄内地区で暮らす村井喜代女さん(83)が満州から引き揚げる途中の、4歳ごろの記憶だ。母親の背中にいた妹は生まれてわずか1週間。弟は「本当にかわいい顔をしていた」。胃腸が弱い子だった。
 妹も弟も途中で亡くなった。「なんで、いないの」。さっきまで一緒にいた弟がいないことに気付き、周囲の大人に村井さんが理由を尋ねると、入院したという話をされたという。

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09反対の声(上)

 六ケ所村に、全国から訪問者が絶えない家がある。
 6月5日。この日も東京都と沖縄県から来た女性の姿があった。2人は米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設の反対運動で知り合った人から紹介され、足を運んだ。
 ここは核燃料サイクル反対を訴える菊川慶子さん(75)の自宅。冬場を除き、来たいという人を受け入れている。今年も4月から7月上旬までの間に十数人が訪れた。
 東京のフリーダンサー牧瀬茜さん(47)は核燃反対の立場。「六ケ所は核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)の負担を強いられている。原子力を推進しているこの国に生きているのだから、知りたいと思って」と村に関心を寄せた理由を口にした。

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10反対の声(下)

 六ケ所村で今、核燃料サイクルを巡って反対運動をする人は、菊川慶子さん(75)ら、ごく少数だ。サイクル施設を運営する日本原燃やその協力会社で多くの人が働き、住民の生活と原子力が切り離せない関係になっているのが大きな理由だろう。
 ただ、周辺自治体から菊川さんらを支え、一緒に活動する人はいる。東北町の農家荒木茂信さん(66)は、反対運動を通して菊川さんと知り合った。30年以上前のことだ。この間、多くの仲間が運動から離れていったが、「菊川さんはスタンスが変わらないからいい」と今も付き合いが続いている。

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