【八戸大火100年】<火難を越えて・下>建物構造規制、町並み整然 2024年5月18日 5:31 明治20年代の八戸中心街(十三日町から三日町方面を望む)。軒先の小見世や町堰のほか、柾葺き屋根にいまだ石を置いている家も見える(中里進「ふるさとの想い出写真集明治・大正・昭和八戸」より) 城下町八戸の大火として前回は文化3(1806)年を取り上げた。今回は、それ以降の大火を述べることにする。 文政8(1825)年1月の大火は、六日町周辺の裏町を中心に焼失し、十三日町、三日町、八日町という中心街も類焼した。焼失家数241軒。廿.....有料記事です。新聞購読者は無料で会員登録できます。会員登録するログイン(会員の方)サービス内容の詳細はこちら お気に入り登録 お気に入りリスト