Free【北奥羽の地名】武士沢(三戸町)/「毒」に「武士」の字当てる
三戸町斗内地区(旧斗内村)の小さな集落「武士沢」は、田園地帯に農家など十数軒が暮らしている。名字にもなっており、同地区周辺の住民に武士沢姓が多く、町全域でなじみは深い。
同町郷土誌稿によると、地名の由来は毒沢。アイヌ語が語源とされ、沢の近くにトリカブトが群生していたことから毒沢と呼ばれたとの説が有力だ。
武士沢を含む斗内村一帯は、戦国時代武田信玄との戦いに敗れ、逃れて来た源氏方の子孫が多い。一帯を治めていた小笠原家の家臣として姓をもらったのが武士沢家で、明治時代に地名になった。
高い木々に囲まれた地区のよりどころ「法呂神社」を管理している小笠原良一さんは「小笠原家と武士沢家は家紋が同じ三階菱。同じ武家として毒の字はまずいから『武士』を当てたのだろう」と思いをはせる。
棚田が主だった土地に40年前ポンプが導入され、今は町内でも指折りの水田地帯となった。県内1、2を争う「走り穂」の早い地域で知られ、毎年良質なコメが収穫される。