Free【月刊Dash】世界で得た知見を故郷青森に 県バスケットボール協会スーパーバイザー・内海知秀氏
世界で得た知見を生まれ育ったふるさとへ還元する。2026年に青森県で開かれる国民スポーツ大会。地元開催で優勝を目指すバスケットボール競技に強力な助っ人が加わった。04年のアテネ、16年のリオデジャネイロ両五輪で女子日本代表ヘッドコーチを務めた内海知秀氏(65)=三沢市出身=は23年度、県協会から依頼を受け、戦術面で指導や助言をするスーパーバイザーに就任。「少しでも青森の力になりたい」。競技力向上に全力を尽くす。
二度の五輪では、スピードと高いシュート力―という日本女子バスケの礎を築いた。アテネは予選1勝4敗の10位だったが、戦術を確立したリオは3勝2敗で予選を突破。準々決勝は女王・米国に真っ向勝負を挑み、敗れたものの、前半は10点差で食らいついた。内海氏の退任後となるが、そのスタイルに磨きをかけた21年の東京五輪は銀メダルを獲得している。
13年のFIBAアジアカップは43年ぶりに優勝。15年には連覇を果たし、リオへの切符をつかんだ。「経験と自信を積み重ねて、波に乗れたのがリオ」。勝つ経験が選手を強くするというのは一つの信念だ。
青森でも長年指導してきた方針で強化を図る。「守備から、トランジション(=好守の切り替え)で生まれたアウトナンバーの中で点数につなげる」。加えて「決めるべきシュートを絶対入れる力を付けないと」。自身がシューターだった経験からだ。
ナショナルチームと同様、県選抜チームはトップレベルの選手が集い戦力が上がる一方、練習時間は限られる。「短い期間だからこそ、集中してチームの約束事を表現することが必要。2年後やその先を見据えて、自分も選手もレベルアップしていく」と自らの成長も期している。
◇うつみ・ともひで 1958年12月7日生まれ。三沢市出身のバスケットボール指導者。十和田市立三本木中─秋田県立能代工(現能代科技)高。日体大を卒業後、日本リーグの日本鉱業で活躍。引退後の88年、札幌大で指導者の道を歩み始める。2003年から女子日本代表のヘッドコーチに就き、04年アテネ五輪、16年リオデジャネイロ五輪に出場。代表以外では、女子ジャパンエナジー(現ENEOSサンフラワーズ)、男子レバンガ北海道、女子日立ハイテクを指揮。現在は東京都在住。