Free【連載・瀬戸際の八戸中心街】第1部 ①兆 候

52年の歴史に終止符を打った三春屋。従業員もさまざまな思いを抱えて閉店を迎えた=4月10日、八戸市十三日町
52年の歴史に終止符を打った三春屋。従業員もさまざまな思いを抱えて閉店を迎えた=4月10日、八戸市十三日町

4月10日午後6時半、市民に親しまれてきた老舗百貨店が、52年の歴史に終止符を打った。八戸市十三日町の三春屋。営業終了を告げる「蛍の光」のBGMが寂しく響く。

 正面入り口前には100人以上の市民が駆け付けた。「ありがとう、三春屋」。別れを惜しむ声が上がる中、シャッターがゆっくりと降りた。

 深々と頭を下げる従業員。万感の思いがこみ上げた。そして、ある疑問も。「なぜこんな結末になってしまったのか」―。

  ◇      ◇

 あの日から3カ月余り。「地下の食料品売り場は評価が高く、経営は継続できたはずだ」。元従業員の石井康友さん(44)は今も閉店を悔やむ。

 2020年4月、出向先から愛着のある三春屋へ、自ら希望して復帰。前年9月、当時の運営会社でイオングループの「中合」が、複合商業施設の開発やコンサルティング業などを手がける「やまき」(東京)への店舗売却を決めていた。

 新運営会社の「やまき三春屋」は、レストランやフィットネスジムを備えた会員制サロンなどの計画を打ち出す。以前から売り上げの落ち込みが続き、経営環境は厳しかった。斬新なアイデアに現状打開を期待しつつ、「八戸になじまないのではないか」と戸惑いもあった。

 サロン計画は延期を経て中止に追い込まれ、経営立て直しは暗礁に乗り上げる。時を同じくしてテナントの撤退が目に付くように。社内に雇用不安が広がったことから、21年5月に労働組合を設立し、執行委員長に就く。

 懸念は現実となった。運営会社は同年7月、直営部分の縮小を理由に、一部従業員の解雇を一方的に通知。団交で会社側は「親会社の意向」の一点張り。経営に関する情報を求めても一切、開示されなかった。

 経営側から再生への熱意は感じ取れなかった。「これは駄目だ」。現場では仕入れが制限され、売り上げを出せない。社員の士気も下がる一方だった。

  ◇      ◇

 中核的存在だった地下食品売り場は営業継続となった。しかし、その頃から既に、取引業者への支払いが滞り始めていた。

 当時の経営実態を知る立場にあった人物は一様に口を閉ざす。だが、元従業員の40代女性は「上司は三春屋にはお金がないとぼやいていた。売り上げが親会社に吸い上げられ、経営体力がなくなっているという話もあった」と声を潜める。

 そして22年3月3日、運営会社は従業員と一部取引業者に対し、三春屋閉店の方針を伝える。石井さんは最後まで運営会社と交渉を続けた。ただ、親会社の関係者はついに姿を見せることがなかった。

 三春屋のルーツは約500年前に創業した「三春屋呉服店」。経営母体を幾度となく変えながらも、地域に根差した百貨店として市民に愛されてきた。

 老舗の灯が消え、にぎわいと雇用が失われた。売り上げの落ち込みが続く中、新型コロナウイルス禍という想定外の事態にも見舞われた。だが、石井さんは釈然としない思いを抱えたままだ。「三春屋は再生できなかったのだろうか」

  ◆      ◆

 長引く地域経済の低迷によって、八戸市中心街が瀬戸際に立っている。第1部では三春屋閉店に揺れる“街の顔”の現状を探る。

【瀬戸際の八戸中心街】(全17回)

  1. 第4部「将来像」
  2. ① 新しい風(3月28日)
  3. ② イベント(3月29日)
  4. ③ 再開発(3月30日)
  5. ④ 自 覚(3月31日)
  6. 第3部「再興へのヒント」
  7. ① 街を守る(12月19日)
  8. ② 歴史を生かす(12月20日)
  9. ③ 歩きたくなる街(12月21日)
  10. ④ 共生の街(12月22日)
  11. 第2部「課題」
  12. ① 求心力(10月20日)
  13. ② 駐車場(10月21日)
  14. ③ 空き店舗(10月22日)
  15. ④ 街並み(10月23日)
  16. 第1部「老舗閉店」
  17. ① 兆 候(7月18日)
  18. ② 疑 念(7月19日)
  19. ③ 再 起(7月20日)
  20. ④ 空洞化(7月21日)
  21. ⑤ 新ビジョン(7月22日)
  22. 【緊急連載・三春屋閉店】
  23. 上 激戦生き抜いてきた老舗(3月5日)
  24. 中 崩れる「適度な競争」(3月6日)
  25. 下 空洞化防止へ官民で知恵を(3月7日)

 
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