【南部氏誕生 光行と「鎌倉殿」の時代】(18・完)奥州へ

八戸市の「史跡根城の広場」。南部師行の子孫が江戸時代初めまで居城としたことから師行が根城を築城したと推定されているが、同時代史料では師行の拠点がどこかははっきりしない
八戸市の「史跡根城の広場」。南部師行の子孫が江戸時代初めまで居城としたことから師行が根城を築城したと推定されているが、同時代史料では師行の拠点がどこかははっきりしない
南部氏の本領・甲斐国南部郷(現山梨県南部町)の相続を巡る訴訟で、元弘3(1333)年に作成された南部時長、師行(もろゆき)、政長の兄弟の陳状(反論状)案によると、後醍醐天皇が鎌倉幕府追討の兵を挙げた際、政長は奥州から天皇方に参じたという。 .....
お気に入り登録