第1部
飛躍(1-1)
突然解散、トリプル選へ
2022/04/10
1980(昭和55)年5月16日、青森県内は二つの参院選に向けた戦いが熱を帯びていた。一つは八戸市を地盤とした寺下岩蔵氏の急逝に伴う補欠選(6月1日投開票)。もう一つは任期満了に伴う通常の参院選(同2…
飛躍(1-2)
自民公認で衆院初出馬
2022/04/10
 ―1980年の衆院選が国政への初挑戦でした。出馬に至るいきさつを教えてください。 あれは県議2期目の1年目だったでしょうか。参院選の応援遊説のさなかに不信任案可決の報を聞いて、慌てて50分くらいかけ…
飛躍(1-3)
3年半の苦しい試練
2022/04/10
派閥抗争に対する批判から苦しい選挙戦を強いられた自民。だが、選挙中に大平首相が急逝したことで「弔い戦」にムードが一変し、絶対安定多数を確保する圧勝を果たした。初陣の大島氏は青森1区で6万3958票を獲…
飛躍(2-1)
「党内傍流」の小派閥に
2022/04/18
1983(昭和58)年12月、衆院に初当選した大島理森氏=当時(37)=は、自民党内では傍流とされた最小派閥の河本派に所属した。領袖(りょうしゅう)は実業家出身の河本敏夫氏。当時は最大派閥の田中派を中…
飛躍(2-2)
海部氏浮上、河本氏断念
2022/04/18
89年7月24日に宇野首相が退陣表明した直後から始まった後継レース。総理・総裁の座に意欲を見せる河本氏にとって78歳という年齢が最大のネックとなった。一方、党内では同じ河本派でも別の名前が急浮上してい…
飛躍(3-1)
43歳、官房副長官抜てき
2022/04/24
1989(平成元)年8月、海部俊樹政権が発足した。党内基盤が弱いため最大派閥の竹下派の協力が欠かせず、同派の小沢一郎氏=当時(47)=が幹事長に座る党側の力が強い体制となった。衆院任期満了まで1年と迫…
飛躍(3-2)
米国の圧力と向き合う
2022/04/24
90年2月に船出した第2次海部内閣には、米国との貿易摩擦を巡る「日米構造協議」という難題が横たわっていた。慢性的に巨額の貿易赤字を抱える米国は日本に輸入促進を求め、規制緩和や内需拡大、商慣行の見直しな…
飛躍(4-1)
湾岸危機、貢献問われる
2022/05/01
1990(平成2)年8月2日、イラク軍が隣国のクウェートに侵攻し、いわゆる「湾岸危機」が勃発(ぼっぱつ)した。海部俊樹首相をはじめ政権と自民党の主要メンバーは夏休みのさなか。妻の実家がある大阪で過ごし…
飛躍(4-2)
首相説得し、法案提出
2022/05/01
湾岸危機の勃発から約2カ月後の10月16日、海部政権は国際的に要求された人的貢献への答えとなる「国連平和協力法案」を国会に提出した。自衛隊員を協力隊員と併任させ、新設する国連平和協力隊として海外派遣を…
飛躍(5-1)
政治改革で激しい対立
2022/05/08
リクルート事件による政治不信を背景に生まれた海部俊樹政権は、「政治とカネ」の問題を断ち切る政治改革が最大の使命だった。難題が次々降りかかる中でエネルギーを割けずにいたものの、1991(平成3)年2月に…
飛躍(5-2)
「重大決意」も解散断念
2022/05/08
政治改革に関する法案を党議決定する総務会は6月28、29日の2日間にわたった。強い反対が残る中で、最後は西岡武夫総務会長が質疑を打ち切って了承を宣言。その後も反対派が無効を主張して混乱は続き、最終的に…
飛躍(6-1)
複雑な方程式解く官邸
2022/05/15
政治生命を懸けた政治改革関連法案が廃案となった責任を取る形で、海部俊樹首相は1991(平成3)年10月の自民党総裁選への出馬を断念した。解散権をかざして巻き返しに出た首相に党内の批判が集中し、政権を支…
飛躍(6-2)
バブルの後始末に遅れ
2022/05/15
 ―海部政権をどう評価しますか。リクルート事件の後に海部首相が出現したというのは、時代の要請だったと思います。90年2月の衆院選に勝たせてもらい、自民党再生のきっかけを作るという責任をしっかりと果たし…